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世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」について

世界文化遺産登録を目指しておりました「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」がユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界文化遺産登録にふさわしいかどうか、文化遺産登録の諮問機関「国際記念物遺跡会議(イコモス)」と、自然遺産登録の諮問機関「国際自然保護連合(IUCN)」から平成30年5月未明に評価結果が出されました。評価結果は、世界文化遺産登録にふさわしい「登録」との評価を受け、世界文化遺産登録に一層近づきました。

そして平成30年6月30日(土曜日)、バーレーンで開催中の第42回世界遺産委員会において、本町の構成資産「頭ヶ島の集落」を含む「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産に登録されることが決定いたしました。

  • タイトル
長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産
(Hidden Christain Sites in the Nagasaki Region)

  • 構成遺産
【構成資産の名称】
〇原城跡
〇平戸の聖地と集落(春日集落と安満岳)
〇平戸の聖地と集落(中江ノ島)
〇外海の出津集落
〇外海の大野集落
〇野崎島の集落跡
頭ヶ島の集落(新上五島町)
〇奈留島の江上集落(江上天主堂とその周辺)
〇久賀島の集落
〇黒島の集落
〇大浦天主堂
(※以上、長崎県)
〇天草の崎津集落(熊本県)
  (※崎津の崎は「大」が「立」です。)

  • 概要
本資産は,16世紀にキリスト教が大航海時代を背景に極東の国日本へ伝来し,その後の江戸幕府による禁教 政策の中で「潜伏キリシタン」が密かにキリスト教への信仰を継続し,長崎と天草地方の各地において厳しい生活 条件の下に,既存の社会・宗教と共生しつつ,独特の文化的伝統を育んだことを物語る貴重な証拠である。

潜伏キリシタンの文化的伝統が形成される契機となる出来事が考古学的に明らかにされている原城跡,潜伏キ リシタンが密かに信仰を維持するために様々な形態で他の宗教と共生を行った集落(平戸の聖地と集落・天草の 津集落・外海の出津集落・外海の大野集落),信仰組織を維持するために移住を行った離島部の集落(黒島の 集落・野崎島の集落跡・頭ヶ島の集落・久賀島の集落・奈留島の江上集落(江上天主堂とその周辺)),潜伏キリシ タンの伝統が終焉を迎える契機となった出来事が起こり,各地の潜伏キリシタン集落と関わった大浦天主堂から 構成される。
新上五島町に属する「頭ヶ島の集落」について

(写真:頭ヶ島の集落)


(写真:頭ヶ島天主堂)

戦国時代、五島を支配した宇久純定がキリスト教布教を認め、一時は2,000人の信者がいたとされています。しかし、幕府の禁教令で、キリシタンは途絶えました。江戸時代後期の1797年、五島藩が大村藩に荒地開墾要員の移住を要請したことをきっかけに、外海から潜伏キリシタンが海を渡り、五島各地には再びキリシタン集落ができました。

上五島に属する頭ヶ島は、1859年頃から入植が始まり、役人の目もあまり届かないことから、潜伏キリシタンが増えます。

1867年以降、上五島には長崎から密かに外国人神父が訪れるようになるが、翌年にはキリシタン弾圧「五島崩れ」が起きました。頭ヶ島でも主だった信者が拷問を受け、島民全員が島を一時脱出しました。

1887年には木造教会が建てられ、1919年に現在の石造り教会(頭ヶ島天主堂)が完成します。鉄川与助の設計施工で、近くの島から切り出した石を、信者らが船で運び組み立てました。内部は船底のような折上天井で、随所にツバキをモチーフにした花柄文様があしらわれ、「花の御堂」の愛称もあります。珍しい石造で重厚な外観を持ち、華やいだ内部が特徴的な教会として、2001年に国の重要文化財に指定されました。

地図: 頭ヶ島天主堂
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頭ヶ島天主堂
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